みなさまこんにちは。
オミクロンの勢いすごいですね。
大阪もマンボーが出そうな予感。。。パックンの友達も2人が先週感染したらしいです。それでもパックンの双子の妹たちと、パックンママはワクチンを打たない選択をしているので、意思が固いな〜と思います。
私の母なんで昨日3回目を早々と打ちました。すごい違いです(笑)
皆様もお気をつけくださいね〜ひなぼです。
さて今日も父のお話です。以前のお話はコチラ
▶︎どうしよう発熱した!!初PCR検査
▶︎父が亡くなりました1。前日編
▶︎父が亡くなりました2。当日編
▶︎父が亡くなりました3。葬儀準備編
▶︎父が亡くなりました4。葬儀準備編
▶︎父が亡くなりました5。お通夜編
お通夜後暴露される父の行動
叔父と3人で会館に泊まることになり、いろんな話をしました。
私は全然叔父のことを嫌な感じに思うことはなく、お金の話ばっかりするので、金持ち爺さんやな〜
ええな〜とそんな感じでした。
しかし叔父は81歳です。23時頃には布団を敷いて寝始めました。
私たち3人は、部屋で話すと、ふすまの隣の叔父の迷惑になるので、父のいる会場の椅子に座りながら父の暴露話を始めました。
子供の頃のお父さんとの思い出ってあんまりないな〜
喋るようになったのって、いっしょにコンビニ始めてからやわ〜
父は52歳の時、突然会社を辞めてきて1年間失業保険暮らしをしていました。
私も高校を出て就職1年目でしたので、安心して辞めたのでしょう。
その1年の間にみんなで何をするか話し合い、コンビニを始めることになりました。
その1年の間に私も仕事を辞め、短期留学に行ったりしていたので、帰ってきた時に両親を手伝うことになりました。
そこから父とちょっと話すようになりました。
そやな〜あんま家におらんかったもんな〜
でもさ、お母さんがパートの人らと日帰り旅行に行った時、私のことお父さんに頼んだやん??2、3年生やったかな〜?
あの時さ〜パチンコ行ってん。
えーーーーーーー!!あんた連れてか??
お父さんパチンコいったん!!!
信じられへん(怒)
うん。隣に座って、玉くれて、狙うところも教えてくれた。
そんでさ〜その後隣の喫茶店いって、ジュース飲ませてくれてな帰ろうかってなった時にさ。
あっお金ない(笑)
二人で店出たら泥棒になるから、ここ座って待っといて。
家帰ってお金とってくるわ。
めっちゃ不安やったの覚えてる(笑)
そら不安やわ〜(笑)
ほんま何してんの。
あとさ〜お父さんに2、3年生の頃かな〜、お母さんがお父さんに頼んで、流れるプールあるプールに連れてってもらってさ〜。お父さんはプール入らんとパラソルの下で読書しててん。
ほんで私一人で流れててんけど、しばらくしたら私の名前が聞こえてきてさ。
『ひなぼちゃん、お父様が売店でお待ちです。』って迷子のアナウンスって親が子供探すパターンもあるんや〜って(笑)
えーーーーーお父さんそんなことしたん!!
うん。お父さんプールが流れてるって知らんかったんかな〜?と思って、これ流れるプールやから、私流されていくからお父さんの前からはおらんようになるで。って言ってんけどその後も2回アナウンスされた(笑)
なにそれ(笑)アナウンスする人もびっくりしたやろうに。
この父親大丈夫か?って思ったやろうに。
そんなに心配するなら、ちゃんと目で追っとけばいいのに側迷惑な〜
父はあまり父親らしい父ではなく、私たちを子供扱いせず、子供と対等でした。
物を買ってくれたり、お小遣いをくれたこともなく、自分から率先してどこかに遊びに連れて行くこともなく。
姉が3歳くらいの、これ何?あれ何?これなんて読むん?と好奇心のかたまりの時父が言った言葉は
辞書で調べなさい。
だったそうです。。。
私、あれ聞いた時びっくりしたわ。
3歳児に言うことかいなって。
あと私が聞きたかったのは父のせん妄についてです。
せん妄とは意識障害みたいなものらしく、幻覚が見えたり、意味不明なことを言ったり、傷つくことを言われたり、癌患者の多くに現れる症状らしいです。認知症と間違えてはいけないらしく、あまり否定せず安心させるような言葉をかけるといいらしいです。
なぁなぁお父さんのせん妄ってどんなんやったん?
初めての時な気づかんかってさ、お父さんがいきなりベッドから空中指差して
あれ取って。ほらっそこに黒いのんあるやろ〜
私せん妄って気づかんかって、え〜何〜何もないで〜って言うてもうてさ〜
後で気づいてん。あっせん妄かなって。あんたがあんまり否定したらあかんって言うてたん思い出してさ、次からはホンマや〜なんかあるな〜でも高すぎて届けへんわ〜って答えてた。
ほうか〜そやな〜届けへんな〜
へぇ〜幻覚が見えてたんやろな〜?
後な、白鳥が台所横切ったって言うてたわ〜
白鳥!!!何それめっちゃおもろいし、かわいいせん妄やん。
うん、私が傷つくようなこと言うわけないって信じてたけどな。
普段から考えてないやろうし。一つもひどいこと言われへんかったわ。
そうなんかな〜いろんな人のブログ読んでたら、子供に悪い悪いっていいながらブログ書いてたのに、亡くなった後にお子さんが引き継いで、ブログで最後の数日間について書いてるの読んだけど、かなり罵声を浴びたっぽかったし、心の中で思ってたか思ってなかったは関係ないんちゃうかな〜??
ちょっと私にはせん妄について詳しくわかりませんが、父のせん妄は可愛いせん妄でした(笑)
父の謎な行動について盛り上がりました。
結局いつもお父さんってようわからん人やな?ってことで落ち着きます。
結局この日はほとんど寝ずに朝を迎えました。
葬式当日
全員がそろい、さらに参列していない、いとこから供花が出され、さらに鮮やかになりました。
スタッフさんとまた全員参加で打ち合わせです。
この日は次のお通夜の予定が入っているらしく、葬儀が始まるとともに一泊したお部屋を空にしなければいけません。荷物を置く用のロッカーがございますのでそちらに移動させてください。
そして、昨日よりお花も増えて、とてもきれいになっているので、祭壇を是非写真にとってくださいと。
え〜写真とっていいんや〜
あと各自自分の車で火葬場に行くので、霊柩車にみんなついてきてるか確認しないといけなく、車のナンバーと車種と色の確認と、火葬場の住所をカーナビに登録してください、と説明がありました。
私たちから親戚たちに説明しなくても直接みんなにスタッフさんが説明してくれていたので楽ちんでした。
あとは火葬場でお骨上げした後、初七日をこの会館でしますので、すぐに戻ってきてください。
お坊さんが待ってますので。
このような注意事項がありました。
初七日の確認を親戚一同に確認すると、姉の義父と姉の旦那さんと福井からの伯父以外全員参加するとのことで、
時間遅くなるしと思って火葬場で現地解散と思ったけど、みんなまたここに戻ってくるんやったら、マイクロバス借りたらよかったな〜
たしかに。でも見積もりの時は誰が残ってくれるかわからんかったもんな〜
お葬式
火葬場まで40分ほど高速に乗っての移動だったし、父方の親戚の家よりの火葬場だったので現地解散したほうがいいと思ったんですけど、全員戻ってくるという。。。
高速代もったいない。。。まっ私たちは節約できたんですけど。マイクロバスで6万やったかな〜それくらいかかったはずなので!!
葬式の祭壇は昨日のお通夜よりもさらにお花で溢れていました。
お花少ないやろうな〜と思ってたけど、ぜんぜんいけてる〜
きれいきれい〜
記念に写真を取っておきました。
司会者の方が司会を始めて、お坊さん登場。
昨日とは違うカッコいい着物で、やっぱり今日が本番なのかな?という感じがしました。(お通夜の時がダサい着物というわけではないです!!)
お経を聞いていると寝そうです。
ほとんど寝てないので、とても心地がよかったです。
全員のご焼香が終わり、お経が終わり、お坊さんが退場して、ドリフのようにスタッフの人が場面転換です。椅子を片付け、父が部屋の真ん中に配置され、棺の蓋を取りました。
ずっと蓋で見えてなかったけどちゃんと胸のところに四国の八十八箇所参りの御朱印帳がありました。
父と母は全部歩いて参ったんです。父の願いであった、唯一の棺に入れてほしいものがこれでした。
でも全部行ったのに一箇所だけ御朱印もらってくるの忘れてるんですよね〜(爆)
皆様、火葬場ではご対面できませんのでこれが最後のご対面となります。
お別れの挨拶をしながら、お花を故人様の棺にお花を入れてください。
前もってスタッフさんからの確認でお花を切り花にして、みなさんにお持ち帰り頂くかどうか確認がありました。
私たちは花もらっても大変やし、結構ですとお断りしたので、たくさんある花をスタッフさん達がすごい勢いで切って私たちに手渡ししていきます。
どんどにれてってくださ〜いみたいな感じ。そんな言い方じゃなかったけど。
たくさんお花があったので父がどんどんメルヘンになっていきます。
泣きながら花を入れまくって、でもあまりにも花に埋もれてる父が面白くって、
涙出てくるけど笑ける(爆)
写真撮りたいけどこれは撮ったらあかんやつやでな〜
最終的にメルヘンになった父は全身花で覆い尽くされ、顔だけ出てる状態になりました。
こんなに花いれるんや〜
こんなに花入れるイメージなかったわ〜
祭壇にあったお花をぜーんぶスタッフさんが切って、次々に私たちに渡し、棺から溢れるほど花が入りました。
そして蓋を閉じ霊柩車に積み替えです。男性が手伝うように促されました。
母は法名を、姉は遺影を持ち霊柩車へ。私は姉の旦那さんの車で火葬場へ向かいます。
全員車へ乗り込み出発です。
ちゃんと家の前を通ってくれました。
でも車が全部で6台あり、入り込んだところにある家なので霊柩車だけが入っていき、他5台は大通りで待機でした。
なんでだよ〜俺たちもついて行かせろよ〜
みんなも家見たいでしょ〜
とお義父さんに姉の実家を見せたいようでした。
お義父さんも、いいところだね〜庭が大きいわ〜と言っていました。
実家は新興住宅地にあって、山を切り開いて作った街なので、都会の戸建てのようにキツキツではなく、ゆったりしていて、庭も広いし、駐車場も一家に一台ではなく、一人一台なので広いです。
あと公園だらけで200mごとくらいに公園があり、犬を買うにはうってつけな場所です。
会社リモートやったら都心じゃなくてもさ、こんな感じのとこ住んだら犬達よろこぶんちゃーん??
ホントだよ。こういうとこ住みたいわ。でも今の家まだ2年なんだよね〜
引っ越すのはもったいないな〜
こんな時代になるってわかってたら引っ越さなかったのに!!
姉夫婦はコロナ前に通勤が大変だからと、都心から離れたマンションから、都心にマンションを買って引っ越したばかりでした。それからリモートワークが始まり通勤がなくなりました。。。残念っ
火葬場にて
みんながはぐれないように、車で40分ほどかけてゆっくり火葬場に到着しました。
ここでまた焼き場の前でお坊さんが短めのお経をあげます。
そして棺が焼却炉に入っていきスイッチがオンされました。
お骨になるのを待つ間、2時間ほどかかるので、みんなでお食事です。
この日はとても豪華な懐石料理でした。おいしいかどうかは別として。。。
子供の頃は苦手だった母の弟の叔父夫婦も歳がいって丸くなったのか、それとも私が大人になったからか、付き合いやすい人になってました。
叔父は長男で見栄っ張りで、祖母の葬式の時姉の郵便局の同僚からそれぞれお香典を1,000円いただいたらしいです。そのお返しがなんと一人3,000円ずつの図書券でした(驚)
これには同僚の方たちも驚いたようです。3倍になって帰ってきた!!って
まっ自慢するところは変わってなかったけど、悪い人では元々ないので、楽しくお話できました。
そして顔が母に似すぎてておもしろかったです(笑)
そしてなんで喉仏の骨が大事かって話になって
そーいやなんでなん?仏ってつくから??
仏さんがな座ってるみたいな形してるねん。
後でお父さんの見れるわ。
お骨上げの時間になり、スタッフさんが骨の説明を始めます。
そして一人ずつお箸で骨をスタッフさんから受け取り、骨壺へ入れます。
そして最後喉仏をスタッフさんがつまみ、
ほら、ひなぼちゃん見てみ〜
大仏さんが座ってるみたいな形になってるやろ〜
と私を手招きして、大仏ポーズをしました。
ほんまや〜知らんかった〜
あなたが死んだことによって、娘は賢くなりましたよ、お父さん!!
身をもって教えてもらいました。
そしてスタッフさんが骨壺に入りきれなかったお骨はこちらでちゃんと埋葬しますのでご安心ください。と
そっか〜ここでお父さんバラバラになっちゃうんや〜
埋葬って、他の人らと混ぜこぜにされてんのかな〜?
ここら辺は疑問に思いましたが、質問する雰囲気でもなかったので黙っておきました。
さて帰りは霊柩車はありませんので、母と姉と私は姉の旦那さんの車に乗り込みました。
会館までの帰り道、母はず〜っとコックリコックリ。相当疲れてます。
初七日何時から?
私は小さくなった父を膝に乗せて、タイムスケジュールの用紙を確認します。
16時から〜今何時?
16時10分。えーもー間に合わないじゃん。
タイムスケジュールを確認してみると
あれ〜お骨上げ16時に終わって、16時から初七日になってる。
これ不可能じゃね??移動時間抜けてる。いくらなんでも戻るのに20分はかかるやろ〜行きしな、ゆっくりやけど40分かかってんで。
急ぐけどさ、も〜無理だよね。
もう後ろついてきてるの気にせず行っちゃうよ〜
みんなナビ入れてるからいけるやろ〜
会館で何度も何度も何度も何度もスタッフさんからすぐに帰ってきてください、お坊さんが待ってますからってさんざん念を押されたけど、いくらなんでもこれは無理でした。
みんなが急ぐようにわざとかな?ちょっと謎なスケジュールでした。
つづく
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